私も間で、二、三回観戦に行きました。
やはり高校生の大会の熱気はいつ来てもすごいですね。
会場に入ったとたんに、雄叫びと応援で、うわーんという音がしていて、その熱気に舞い上がってしまいます。
高校生、みんな「勝ちたい」んですね。当たり前ですが。
でも、私のような年齢になると、この「勝ちたい」ということをこれほど、前面に押し出してプレーできることが、ある意味、うらやましい、というかいいなあと思うのです。
年をとってくると、もちろん勝ちたいのですが、それをどれだけ前面に表わしてもいいものか、すこし逡巡するようになるような気がします。
観戦していると隣で高校生がその友達に言っていました。「ああ、緊張してきた。勝ちたいなあ。勝てればいいなあ。」と。なんて素直な心情の吐露なんでしょう!
観戦していると隣で高校生がその友達に言っていました。「ああ、緊張してきた。勝ちたいなあ。勝てればいいなあ。」と。なんて素直な心情の吐露なんでしょう!
純粋に「勝ちたい」という気持ちは、とても美しいものだなあと感じます。
思えば、自分が卓球というスポーツを何故続けているかとということも、その点にあるのかなということも前から気づいていました。
人生、長い間やっていると、たくさんのしがらみや、どうしようもないことで、だんたんとがんじがらめになってくるような時があります。仕事や、人間関係で、果たして、これでいいのかどうか? 自分は、正しい道を進んでいるのかどうか? あの人への対応はあれで良かったのかどうか? 今、何をするべきなのか、何を目標とすればいいのか?
・・・わけのわからない、簡単には答えのないことばかりです。
なんで、人生はこんなに難しいんだ!
ときどき、うわーと走りに行きたい時があります。(実際走りにいったりしますが(笑))
卓球というか、スポーツなどの勝負というのは、その点、本当に勝ち負けがはっきりと白黒ついてしまいます。
何を言おうと、勝ちは勝ち、負けは負け。その単純さ、透明さ、一目瞭然の形態がとてもすっきりして、気持ちがいいのです。
勝ったらもちろん気持ちがいい。だけど、負けてもそれはそれで、ああ自分は弱かったのだな受け止められて、すっきりする。またがんばろう、となる。
人生のほかの場面では、これほどすっきりとすることはありません。実際の問題は、自分は勝ったのかな、負けたのかな? どっちなんだろう? などということや、それどころか、これは勝つべきなんだろうか、そうじゃないほうがいいのだろうか? なんてことも、ままあります。
だからこそ、この勝ち負けのはっきりする、卓球というスポーツに惹かれるんですね。
勝っても負けても、同じ土俵の上で勝負できて、自分の力いっぱいを出して努力できるんです。
精神衛生上、こんなにいいことはないのではないでしょうか。
答えの出ない日頃の人生のひとつの晴れ間と言えると思います。だからこそ、夢中になる。純粋になれる。
これからもこんなすばらしい卓球を続けていきたいなあと思っています。
答えの出ない日頃の人生のひとつの晴れ間と言えると思います。だからこそ、夢中になる。純粋になれる。
これからもこんなすばらしい卓球を続けていきたいなあと思っています。
でも、やっぱり勝った方が気持ちいいなあ。(笑)
いや、負けても努力や、工夫や、やるべきことが分かるというのもいいんだよな。
よし、日々精進だな。
ひとりごと、しつれいいたしました。