相変わらず、卓球も続けているし、体力作りのために、ジョギングや筋トレも初めて、まあまあ、続いている。
家族もみな健康でなによりで、とても感謝している。
こうして、あまり変化を感じずに、時がたち、気づくと50歳という歳になっていた。・・・がーん! なに? 50っ歳? なんだそれ。
いつ誰が? なんでわし、50のじじいになったの? いつのまに? ・・・などと、突如に乱れて錯乱しても、どうしようもない。
歳をとったのじゃ。
というか、精神的には、全然歳をとっていない。なんじゃこの肉体と精神のギャップは?
今日はなんだか?マークが多いなあ(笑)
まあ、そういうわけで、人間というものは、だんだんと歳をとっていくものなのだ。そんなこと今更わしが言うまでもない。古来、文章を書く人が何千人とそのことをはっきりと書いている。
あたりまえのことなのであった。
だが、でも、どうして?
やっぱり、この歳をとるということについては、歳をとっても慣れるということはないのだろう。
その分からないぐらいのわずかな変化の連続が、それを引き起こすのである。
鍋にはった水にカエルくんを入れ、下から火をかける。だんだんと水温はあがってきて、ついには煮えくりかえってしまうのといっしょで、ほんとうに少しずつ、年齢というものは重なってきて、気づくと、「えーっ! なんでわし、もう50のおっさんなの?!!」ということになってしまったのだ。
ただ、このまま、100歳まで行ってしまった時に、
「えーっ! なんでわし、もう100のじいさんなの?!!」という驚きで済むのかどうかは、また別の問題である。
人生の問題は常に予想のできない度合、感覚、経験との出会いだ。
大事なことは、「今、この瞬間」に集中してベストをつくすしかないのではないかと思う。
いつも、「今」にすべてを感じないといけない。
なぜなら、人生には、昨日も明日もなく、今、今日だけなのだから。
みんな、がんばろうね(愛)。
ありがとう。
(管理人のやっている他のブログからの転載でした。)
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